ギレルモ・デル・トロ『シェイプ・オブ・ウォーター』を見て
人を好きになる基準ってなんだろう?
人だけじゃない
何かを好きになる基準ってなんだろう?
私にとって。その他の人間にとって。
人間には他の動物と違って言葉を使うという特権が与えられているけど、
言葉なしでも恋愛はできる?
言葉によって定義された「好き」の理由を排しても、そのものを「好き」で居られる?
私は幼少期を思い出す。
あの重い百科事典をワクワクしながら開いたあの瞬間
いつも開くページは「妖怪」のページ。
いつも私を出迎えるのは「百目小僧」。
なんで好きかは分からなかったけど、
確かに私は好きだったのだ
百目小僧が。
あの「好き」の種類は
惹かれるという言葉の方がしっくり来るかもしれない。
監督自身が言ったように、
愛の形、「好き」の形は、水のように不定形
そしてこの映画は
言葉なしでもお互いを理解できる可能性がある
という希望を与えてくれる
これは今異国の地に住んでいる私にとって
これ以上ない励ましであり
言葉を学びながらも
言葉なしで人とどう理解し合えるのかを学ぶ、
というこのコミュニケーションにおけるパラドックスを
正当化してくれたように思う